愛をこめて
SLAM DUNKが大好きな方へ
1990年から1996年まで連載されていた『SLAM DUNK』。
主人公は桜木花道ですが、先輩の三井寿は桜木花道に匹敵するほどの人気があります。
安西先生とのやり取りは、作中一番の名シーンという声も。
中学生時代はスター選手だった三井寿ですが、物語が始まる前に不良化しました。
今回は『不良化しない三井寿はどれだけの選手になっていたのか?』という疑問を考えていきます。
三井寿の人生を考える
中学生時代の三井寿
三井寿は武石中学出身。
中学生時代には、神奈川県大会で最優秀選手を獲得しました。
一言で言えば、『中学生時代の三井寿は神奈川県で一番凄い選手だった』ということになります。
同じ3年生には牧紳一や藤真健司がいますが、中学生時代の三井寿は2人よりも有名人。
と考えると凄いですよね。
そんな華々しい経歴を持つ三井寿ですが、怪我がきっかけで不良化してしまいました。
三井寿の弱点は体力
三井寿はしばらくバスケから離れていました。
ですが、山王戦で25点という怪物的な活躍を見せています。
沢北栄治の26点に次ぐ2位ですから、紛れもない天才ですよね。
個人的な考えでは、『復帰後の技術はそこまで落ちていないのかな』とも思います。
問題は『フル出場すると死にかける体力の無さ』です。
山王戦の終盤では完全にグロッキーでしたからね。(それでも3Pを決める天才っぷり)
不良化していないなら、体力の問題はクリアできていました。
そうなると、沢北栄治以上の得点を上げていたことになります。
終盤は「推薦を狙う」と言っていましたが、不良化してなければ余裕で推薦きてましたね。
湘北バスケ部のその後
赤木剛憲は山王戦後に引退していますが、三井寿はバスケ部に残っています。
それに加えて、桜木花道が怪我で離脱。
となると、ゴール下がかなり弱いです。
映画版ではありますが、宮城リョータはアメリカに行きました。(何年後かは不明)
流川楓は日本ジュニア代表に選ばれています。
となると、三井寿が主体のチーム作りになりますよね。
新チームで全国に行けたのは不明ですが、活躍した三井寿が推薦を取れた気がします。
個人的には三井寿が一番好きなので、スポットを当てた作品を作ってほしいなぁ。
炎の男 三っちゃん笑